harvestmoon魔法のメロディー/方法bulidする
Songs for 4 Seasons:Harvest Moonの歌
コメントにも書いたのですが、今月後半または下旬を予定していた、Harvest Moon特集を繰り上げて、今日からはじめることにします。過ぎ去った夏を回想する歌も、もう一度、どこかでカムバックさせます。もうすこし秋が深まってからのほうが、時季的に合っている曲をすこし残してあるのです。
Harvest Moonというのは、暦上というか、月の運行上、日本でいう中秋(仲秋)の名月にあたります。ただし、日本の風流とは異なり、この言葉の起源は実用的なもので、harvest、つまり刈り入れの超繁忙期に、ナイター照明のような月が出て、エクストラ・イニングに突入できることから、九月の満月の時期をこう呼んだのだそうです。
そのように、風情のない起源をもつので、直接にハーヴェスト・ムーンを扱った曲はたいした数はないようです。しかし、北半球の多くの地域では、秋になり、気温が下がれば、当然、湿度が下がって空気は澄明になり、結果として、月は煌々と照るわけで、西洋でも、月と秋を結びつける気分がいくぶんあるようです。
と、理屈はいいましたが、月でも持ち出さないことには、秋風とともにこのブログ は開店休業になるので、Harvest Moon特集をやろうという趣向ですから、「収穫月」はほんの景物、山ほどある月の歌をこの時期にできるだけ聴いてみようというだけにすぎません。
◆ マーセルズ盤なかりせば…… ◆◆
月を扱った歌とくれば、あれだろう、××××(わいせつな言葉ではなく、あなたが古典だと思っている月の曲のタイトルを入れる)、あれ以外にないじゃないか、と憤慨なさっている方もいらっしゃいましょうが、こちらにも都合というものがありまして、Blue Moonでキックオフとさせていただきます。
Blue Moonと一口にいってもいろいろありまして、だれのヴァージョンを選ぶかは、ほとんど心理試験みたいなものかもしれません。痛くもない腹を探られるのも癪なので、さきに説明しておくと、マーセルズ盤は、いわば「Blue Moon中興の祖」だからです。このビルボード・チャート・トッパーがなければ、あるいは、期限切れとなって、歴史上の一行の記述のみという運命が、この曲を待っていたかもしれないのです。
そりゃ、エルヴィス・プレスリーやボブ・ディランを看板に立てたほうが、アクセスは増えるにちがいないのですが、「フォーム」と「スタイル」はだいじにしたいので、歴史上もっとも重要な盤をさしおいて、エルヴィスやディランを看板に立てたりはしないのです。では、この曲に関するかぎり、マーセルズが王様である、という共通認識がしっかり確立されたという前提で、話を進めさせていただきます。
◆ 星に願えば、もとい、月に願えば ◆◆
なにしろ、日本でいえば昭和九年、満州事変のさなか、去年の大ヒット曲は東京音頭だったという年に書かれた曲なので、歌詞もすこし変化したようですが、ここでは当然、中興の祖、マーセルズ盤をもとにします。
Blue Moon, you saw me standing alone
Without a dream in my heart
Without a love of my own
「ブルームーンよ、心に夢もなければ、愛する人もなく、ぼくがひとりぽっちで立っているのを見ただろう?」と、出だしは簡単なものです。古い曲なので、本来、スロウなテンポだったはずで、マーセルズのように速いテンポだと、どこまでがファースト・ヴァースなのか、どこからがセカンド・ヴァースなのか、わからないうちに、あっというまにブリッジに突入して、ビックリすることになります。
Blue moon, you knew just what I was there for
You heard me saying a prayer for
Someone I really could care for
「ブルームーンよ、ぼくがなんのためにあそこにいたのかわかっているだろう? ぼくが祈っていたのが聞こえてはずだ、だれか思いをかける人がほしいと祈っていたのが」というように、このヴァースもシンプルなものです。行の尻尾がすべてforにしてあるのが、工夫といえば工夫かもしれませんが、すくなくとも現代の目から見ると、それほど感心するようなものでもありません。
◆ いきなりサゲ ◆◆
なにしろテンポが速いので、00:52でブリッジに突入です。
And then there suddenly appeared before me
The only one my arms will ever hold
Heard somebody whisper please adore me
And when I looked the moon had turned to gold
「すると突然、ぼくの目の前に、はじめてこの腕に抱きしめられるかもしれない、ただひとりの人があらわれ、だれか、わたしのことを好きになって、という声が聞こえた、ふと仰ぎみると、月は黄金に輝いていた」
二つのヴァースは簡単なものでしたが、ここでちょっと考えこみます。なんだって、こんなにあっさりと、願いが叶ってしまうのか、です。民俗学的、神話学的考察など、わたしもやりたくないし、またその任でもないし、みなさんも読みたくないでしょうが、どうも、そういう匂いがプンプンしています。Mr. Moonlightにブードゥーが匂うのと同じです。
基本的に、月は女性性の象徴、豊穣の女神のはずです。よって、男が願いをかける相手として正しいでしょう(流行歌の場合、女性はふつう、星に願いをかける。Wish upon a Star)。「月の魔力」、ルナティックな一夜の魔法?
もうひとつ、月はふつう銀であらわされ、黄金であらわされるのは太陽です(レイ・ブラッドベリーのThe Golden Apple of the Sunなんていう短編集がありました)。silvery moonという言いまわしは、しばしば歌に登場しますが、月がゴールドだというのはあまり聴きません。
いや、なにも解釈を提示できるわけではなく、なんだか、いつもとちがうな、と思っただけなのですが。
以下、ファースト・ヴァースにもどって繰り返しになるので、もう新しい言葉はあらわれません。
おっと、当たり前なので省略しましたが、念のために書いておくと、月が青いのは、気象条件の問題というより、心理条件の問題に属することで、憂鬱だなあ、というのときのI'm feelin' blueのそのblueです。だから、goldも深く考えずに、ブルーな気分がゴールドになった、それ以上の含意はなし、としておけばいいのかもしれません。
◆ A&Rは仕事をしたのか、しなかったのか ◆◆
マーセルズと契約したレコード会社は、コロンビア映画の子会社、コルピクスです。コルピクスにはいろいろなストーリーがありますが、今日はまだ先が長いので、そのあたりはまたの機会に譲ります。
コルピクスとくれば、「あたしたちが売れないのはベンチがアホだからだ」とロネッツに袖にされたので有名な、いや、シェリー・ファブレイのJohnny Angelをプロデュースしたことで知られるステュー・フィリップスを思い浮かべますが、マーセルズのこの曲も彼の仕事だそうです。2曲もチャート・トッパーを生んだプロデューサーなんだから、それほど馬鹿にしたものではないことになるよ>ロニー、ネドラ、それにエステル。
フィリップスとマーセルズが最初のセッションでスタジオに入ったとき(フィリップスはハリウッドとNYのオフィスをいったりきたりして忙しかったようですが、マーセルズはたぶんNYでしょう)、マーセルズが用意していたのは3曲だけだったそうです。3時間のセッションで4曲録音というのが業界の常識、こんどから間違えないようにね>マーセルズ。
どのようなアウトドアスポーツがビンゴbango豊後呼ばれているのですか?でも、アーティスト任せで、曲を用意してこなかったプロデューサーもよほどのトンマで、ロネッツに袖にされたのもやっぱり無理はないかもよ>フィリップス。あなたの肩書きはなに? A&Rマン、すなわち、アーティスト&レパートリー・マン、曲を用意するのも大事な仕事じゃないですか。曲を用意してきませんでした、スタジオ・タイムがあまりました、なんてマヌケなプロデューサーの話は聞きませんよ。自伝を出版なさったそうですが、このへん、どう処理されたのですか? 笑い飛ばした? それぐらいしかできませんよねえ。
さて、メーターがまわっているなかで、最後の1曲をどうするかという相談がまとまり、ただひとり、Blue Moonを知っていたメンバーが他の連中に一時間かけて曲を教え、スタジオ・タイムが余すところあと8分というところで、2テイク分のBlue Moonができあがったのだとか。ブレイク・ダウンはなし、どちらも一発で最後までいっているそうです。
この手の話は、ほとんど類型的神話となっていて、たとえば、ニーノ・テンポとエイプリル・スティーヴンズのチャート・トッパー、Deep Purpleにも、そんなエピソードがついています。話半分できいておいたほうがいいのですが、ただ、プロフェッショナルというのは、コード進行さえわかれば、その場でヘッドアレンジし、きっちりやることができるものですし、世にも奇妙なメロディーラインと、ディミニシュとオーギュメントのあるコード進行をもつDeep Purpleはおくとして、Blue Moonはいたってシンプルな類型的コード進行(いわゆる「花はどこへ行った進行」、キーがCなら、C-Am-F-Gのタイプ)ですから、2テイクでキメるというのもありうることです。マーセルズが練習している1時間があれば、プロには十分すぎるくらいです。
そもそも、この馬鹿速いテンポは、残り8分というプレッシャーが生んだものかもしれません。ゆっくりやっていては2テイク目が録れない、急げ、なんてことになったのじゃないでしょうか。それが結果オーライで、じつに変てこな、つまり、きわめて新鮮なBlue Moonを生んだのでしょう。
たぶん、You Tubeでマーセルズのヴァージョンがみつかると思いますが、念のために書いておくと、ジョニー・シンバルのMr. Bassmanというのがありますね? ああいうスタイルのBlue Moonだと思えば、それほど遠くないでしょう。
◆ 各種ヴォーカル・ヴァージョン ◆◆
今夜もヴァージョンが多いので、「群がる女をな、こうかき分けてな、そりゃもうたいへんなものだったさ、なあに、俥屋だったんだけどな」なんて、志ん生のコピーをやっている暇はないので、群がるヴァージョンを蹴散らして全力疾走します。
歌ものでは、ボブ・ディラン盤がもっとも好きです。これはSelf Portrait、すなわち、評論家たちがボコボコにして、両手両足をもって外に投げ捨てたあのLPに収録されたものですが、わたしは評論家じゃないから、「それまでに印刷物でシリアスなものを褒めてしまった行きがかり」などなかったし、いまもないので、この盤は子どものころから絶賛しつづけています。曲を書かずに、シンガーをやってみたディランは非常に好ましいと思いました。あんなダラダラと長いだけの曲は書かずに、シンガーに徹したほうがいいかもよ>ボビー。
どのようにキングダムハーツで寝てドアを開けないディランのBiographボックスのLP版ほど、マスタリングのちがいに仰天したリイシューはありません。あんまり音がちがうので、当時のソニー盤LPと、米盤Biographの両方をディジタル化して、数曲の波形を比較したのですが、同じ曲とは思えないほど、まったくちがう形をしていました。つまり、ダイナミック・レンジがまったく異なるということです。
どちらがいいか、好みは分かれるでしょうが、やっぱり、シンバルがシャキッとなったし、キックとベースも土性ッ骨のある音になっているので、わたしは近年のマスタリングのほうをとります。違和感はありますが、現在のディランのカタログは、いずれもていねいにマスタリングされています。
この盤はナッシュヴィル録音で、ドラムはわたしの苦手なケニー・バトリーです� ��、ラス・カンケルやジェフ・ポーカロやジョン・グェランのように、タイムが悪いから嫌いなのではなく、タムかと思うほど低いスネアのチューニングが嫌いなだけであって(bit lateのタイプで、アップテンポには不向きだが、カンケル、ポーカロ、グェランのように、前後に不安定に揺れることはなく、終始一貫、安定してlate。揺れないのだから、使うほうが彼はlateだということを承知していればいいだけのことで、信頼できるタイプ)、この曲でもいいプレイをしていると思います。たまにはスネアをシャキッとチューニングしてみたらどうかな>ケニー。ボルトをもうひと廻しでいいから。
それにしても、自分で笑ってしまうのですが、わたしはマーセルズ盤でこの曲を知ったので、ディラン盤を聴いたとき、「けっこうきれいな曲じゃん」と思ったのでした。話が逆だっていうに>俺。わたしもかつては、「近ごろの若いヤツはものを知らないから困る」といわれた、その「若いヤツ」というものだった ことがあるのです。
◆ サゲ抜きで一丁頼むわ ◆◆
エルヴィスは、例のサン・セッションからのもので、才能があるような雰囲気をもっていますが、それはのちのエルヴィスを知っていることによる錯覚かもしれません。とくに自慢になるような出来ではなく、ファン以外には無関係なヴァージョンです。
ただ、ブリッジを歌っていない、つまり、祈るだけで、その先はないままに終わっているところが、ちょっと、おや、と感じさせます。あのへんな結末を飛ばしてしまうのも、ひとつの考え方かもしれません。「品川心中」の後編を高座にかける噺家がほとんどいないことに通じるものがあります。
ディランのつぎはジュリー・ロンドン盤が好みです。ただし、歌詞からいうと、男が女神に祈るほうがいいように思います。女が女神に祈ると、なにやら禍々しい雰囲気、オカルティズムの匂いがします。
あとはうちにはクリフ・リチャード盤がありますが、意外にけっこうな出来です。やっぱり、この人はいい声をしていたからスターになったのだと確認しました。予算潤沢なタイプのアーティストですから、なかなかビッグ・プロダクションで、イギリスのオーケストラも立派なもんだねえ、シナトラのバックもできるかも、と思います。
◆ インスト盤 ◆◆
インスト盤は、ビリー・ストレンジ、キャロル・ケイ、レイ・ポールマン、そして、ハル・ブレインというメンバーだった時代のヴェンチャーズ盤で決まりです。ハルはWalk Don't Run、Lullaby of the Leaves、Perfidiaなどに使ったのと同じスタイルで叩いています。つまり、スネアもライドもすんばらしいの自乗のサウンドだということです。ジャズが抜けきらないハルを聴けるのはヴェンチャーズ盤だけなので、そういうお楽しみなのです。
でも、わたしのような人間にWalk Don't Runと同じドラミングね、といわれるのを避けるためか、ハルはお得意の「小さな工夫、大きな親切」をしています(この人は小さな工夫に命をかけるドラマーだったのです。派手、派手と褒めたりけなしたりするだけが能じゃありませんよ>巷の諸兄)。偶数小節の最後の拍は、スネアをヒットしないで、ロールさせているのです。この短いロールがハルのトレイド・マークであることは、ご存知のとおり。ごく初期から使っていたのです。それにしても、すごくunusualなドラミング。変なドラマーだったのであります。
ビリー・ザ・ボス・ストレンジは、この時期の売りものだったアーム使いに冴えを見せています。私見では、初期サーフ・インスト・バンドがみなアームを使ったのは、ヴェンチャーズの影響によるもので、という� �とはつまり、ボスの影響でみんなアームを使ったことになります。ボスのように、ていねいなアーミングをするプレイヤーはそう多くはないのですが。まあ、だからこそは、ビリー・ストレンジがいまでも尊敬されているのです。
若き日のブルース・ジョンストンのBlue Moonもなかなか悪くありません。ライヴ録音ということになっている盤なのですが、騒ぐオーディエンスに向かってブルースが、「ブルー・ムーンをやるぜ、そう、あのブルー・ムーンだよ、ほんとうにブルー・ムーンをやるんだってんじゃんか、るせえヤツらだな」(意訳)と紹介しているのが笑えます。なるほど、やっぱり、若い連中にはダサい曲、古めかしい曲だと思われていたんだな、と納得してしまいました。終わっても拍手はパラ。受けていません。
Moon Riverに引き続いて、またテン・タフ・ギターズ盤もあります。リードはうまい人です。あたりまえか。でも、この曲のアレンジはちょっといただけません。
なんか、変なヴァージョンがひとつ残っているのですが、正体不明のイタリア人サックス・プレイヤーのムード・ミュージックなので省略し、これにてBlue Moon観兵式を終わります。
0 コメント:
コメントを投稿