スペースの数が独占ボード上でどのように多くのです。
ひだりの灰色 祈り、働け
(2人でインスト30分、ゲーム2時間ほど)
【概要】
あなたは中世の修道院長です。布教のために土地を切り開き、施設を建設し、村を作り、神の教えを広め多くの人々に伝えましょう。
【ルール】
プレイヤーは終了条件を満たすまで、ラウンドを行います。各ラウンドでは、スタートプレイヤーだけが2回、他のプレイヤーは1回のアクションを行います(ラウンドごとにスタートプレイヤーは時計回りに交代します)。
各プレイヤーは、以下のアクションから1つを選んで行います。
1.建物の効果を使う
2.森または泥炭地を開拓する
3.建物を建てる
1.建物の効果を使う
既に建っている建物に修道士コマをおくことで、建物の効果を得ます。
建物は、アイテムを得たり、アイテムを加工したりと様々な効果があります。
他人のボードにある建物もお金(ワインやウイスキーで代用可)を持ち主に支払うことで、他人の修道士コマを建物に配置し、効果を手番プレイヤーが得ることができます。
2.森または泥炭地を開拓する。
ボード上におかれた森、または、泥炭地のカードをボード上から除外します。
森を除外すれば木が、泥炭地を除外すればピート(泥炭)が手に入ります。
3.建物を建てる。
場に公開されている建物から1つを選び、必要な資材を支払うことによって建物を建てることができます。
建物によっては、海岸、山地等の建築場所の制限があります。
建てた時、手元に副修道院長(でかいコマ)が残っていれば、ただちにその建物に配置して、効果を得ることもできます(個の配置はアクションを消費しません)。
また、以下の行動は手番中であればいつでも好きなだけ行えます。
・麦を藁にする
・1金と5金の両替
・追加ボードの購入と配置
ラウンド開始時の処理について
ラウンド開始時、自分の修道士が全て建物に配置されているプレイヤーは、全ての修道士コマを手元に戻します。(任意のタイミングでコマを手元に戻すことはできません)
次に、収穫リングをひと目盛分、反時計回りにまわします。
収穫リングは、そのラウンドで各アイテムがいくつ手に入るかを表しています。以下の状態なら小麦と木なら2個、レンガは3個です(実際にはもっとリング上には多くのコマがおかれます)。いずれかのプレイヤーがアイテムを獲得するアクションを行った場合、コマは0のマスに移動します。
収穫リングが建物コマの場所を通過すると、村フェイズを行います。
村フェイズがあれば村フェイズ後に、なければそのまま各プレイヤーがアクションを行います。
村フェイズについて
必要なエネルギーと食糧を支払うことで村カードを配置できます。村カードは初期に配られる分と、各村フェイズに補充される分がありますが、全プレイヤーに同じものが配られます。
また、新たな建物カードを場に公開します。
得点計算
どのようにスターウォーズは、サイエンス·フィクションに関連していない終了条件を満たすと、得点を計算します。得点は、以下の3つの合計です。
・手持ちのアイテムトークンに書かれた点数
・自分が建てた建物と村に書かれた経済価値
・村、及び、村に面して建てられた建物の居住価値
合計点が最も高いプレイヤーが勝利します。
【プレイ内容】
相方は、トークンを型から抜く時にえらい大量(400個以上)にあるのを見ていたので、「重そうだからやりたくない」と言われるかもと思いましたが、「ショートゲームだと1時間ってあったし、なんか軽そうだからいいよ」と快くプレイすることを了解してもらえ、2人プレイを遊ぶことができました。
相方は軽そうとはいっていましたが、2人プレイだと終了条件が「建物が最後の1つになること」とあったのを見て、僕は長くなりそうな予感がしていました。
まあ、終わらなければ途中終了でもいいやと思いつつ、インスト開始です。
できることは単純ですし、誰かがアイテムをとったら補充されるまでもらえる数は減る点や素材を払って建物を建てたり、誰かが使っている建物は使うことができないというのは、ル・アーブルと同様なので、意外とすんなりインストは終了しました。
お金を払えば他人の修道士コマを配置できるというのが、ちょっと伝わりにくかったですが、ひっかかったのはそれくらいです。
説明用のルールやプレイエイドが付属されていたのも大きかったと思います。
※以下、初回プレイということもあり、途中途中でルール誤りが見つかった時点で是正できるものはできる限り直しています。そのため、建物やボードの位置が写真によって変わっている場合があります。
相方の手番から始まったものの、相方はお金を取らなかったので序盤の1金は貴重だろうと、お金取る⇒追加ボードを2金(次の追加ボードは3金)で購入してみました。ぱっとみた感じ、森の開拓が一番効率的に木を入手する方法ぽかったので、森が多い方の面で追加しました。
一方で相方は石を序盤か� ��手に入れることのできる石材商を建築します。まだ、石を使う建物はそう多くはないですが、なんとなく強そうです。
(序盤の相方のボード)
ル・アーブルでは序盤で屠殺場を建てて、肉を作るというのが強かったような覚えがあったので、精肉所を狙ってましたが、相方も当然狙っていたわけで、見事に建てられます。家畜も相方に大量にとられてしまったので、仕方なく麦からパンを作ろうと風車小屋を建設しました。
パンは食料としては肉に比べると効率悪いですし、風車小屋で麦から小麦粉を作った上で、ベーカーリーで小麦粉を元に焼かないと出来上がりません。結構な手間だなあと思いつつ、いったん作った小麦粉が無駄になるのも嫌なので作りましたが(結果的に食料は正直、そこまで厳しくはありませんでした)。
石が欲しければ相方の建物を使うしかないわけですが、2食料、1エネルギーごとに石1つとそんなに効率は良くないかも?と思っているうちに収穫リングが進み、石切り場が出てきてしまいました。
この建物を使えば収穫リング上に示された数だけ石を手に入れることができます。そんなわけで、さくっと石切り場を建てて、そこから石を取るようにしました。
2人プレイだと(1手番2アクションですが)自分と相手の手番ごとに収穫リングがまわるので、(調整はされていますが)なんかあっという間に時間も進むし、アイテムの入手量も増えるような感覚がします。自分にまわってくるまでに行われるのも2アクションだけなので、貯まったアイテムも意外と思っていたとおりに取れますし。
まあ、これは相方が僕と比較してアイテムを取りに行くよりもぎりぎりのアイテム量で建てられる建物を建て、建物の効果で変換してアイテムを手に入れるようにしていたこともありますが。
石切り場を建てることができたので、できるだけ相方に使われないように気を付けて、石をできるだけ独占するようにしま す。後半は石を使う建物も多いので、これで相方の選択肢をぐっと減らすことができました。
相方は修道院作業場で陶器をつくったり、ブドウ畑とワイン醸造所でワインを大量に作って、それらを売って手に入れたお金で宮殿を建設していました(そのせいで経済状況はきゅうきゅうになっていましたが)。
この後も相方は、城壁や造船所など高得点の建物を次々に建てていました。
僕はと言えば、豊富な石を活かして修道院教会や聖具室など、修道院系の建物を建てまくることができました。
偶然ではありますが、序盤に作ったベーカリーのパンを活かして、本や装飾品、聖遺物をいくつか作って、聖具室で奇跡(1つで30点もらえるアイテム)を手に入れます!
(トークンもでかいです!)
相方:「なんかお手軽な奇跡だねえ」
奇跡の材料となる聖遺物などはまだ持っていますし、修道院系の建物を建てまくったこともあって、牧師館の効果も大きく、一度で12点分のアイテム(2人ゲームだと1つあたりの点数が下がるので9点の間違いでした)を手に入れることができるということもあり、修道士が手元に戻ってきたらまた聖具室でもう1つ奇跡を作ります。
まだ聖遺物等を作って、奇跡を手に入れるという流れをまわすことはできたのですが、それって楽しいか?という気分になり、相方とそろそろ終わらせようかと、建物を一気に建ててゲーム終了となりました。
アイテムからの点数では、僕が奇跡2つやら、大量の聖遺物、装飾品やらで相方に60点差をつけ、あれ、これって相方は寂しいことになるかもと思ったものの、居住価値、経済価値では相方が勝っており、結局、265対257と意外と僅差で僕が勝利しました。
【感想】
BGGでも8点以上、僕の好きなル・アーブルからいいとこ取りをしたゲームということで期待していたのですが、正直な感想は、期待していたほど面白くは感じなかったというところです。
なぜDVDプレーヤーが突然再生の途中で停止しないこのゲームの面白さは箱庭を作るところと、建物を使ってアイテムを成長(最初は小麦でも色々な建物を使っていくことで奇跡になるような)ところだと思うのですが、僕はどちらにもそこまで面白さを見出すことができませんでした。
箱庭作りは、単に得点の高い建物を作っていくだけで、「自分の村を作っている」感じはしません。
無論、自分の思い通りの村を作ること、例えばうちの村はブドウ農園を中心にワイン産業で栄えさせるんだ的な思いを持って建物を建てることはできますが、他人の建物を使う条件がゆるいこともあって、自分の、感はありません。
ゆるいとは言ってもお金などを支払う必要はあるので、基本的には自分が建てた建物中心で計画を立てますが、ふたりゲームだとお金が互いを行き来するだけなので、使える建物ならどちらが建ててもさほど気にはなりませんでした。
村カードによって建物を建てる位置や、村の種類自体でプレイヤー間の個性はでますが、村は単なる居住価値を発生させるためだけの手段にすぎないので、村の選択にも得点以外の要素はありません。例えば漁村を作ったからといって漁が有利になるとかはありません(ルール見逃しかもしれませんが)
アイテムを変換して成長させていくところも、感覚的で申し訳ないのですが、(タイルなのだから当たり前という以上に)どうも無機質で、何らかの数値を与えられた記号以上には感じません でした。修道士の生活に疎いので、何故こうなる?が先行してしまったのかもしれません。
陶器、装飾品、本、聖遺物を聖具室に持ち込むことで奇跡になる!というのも、点数が増えて30点になるという以上の感じは受けませんでした。
テーマがほとんどなくてシステマチックなところを楽しむゲームはたくさんありますし、そういったゲームにも好きなもの、楽しめるものはたくさんあります。
では、何故、僕が楽しめなかったのかというと、1点目としては、このゲームの煩雑さは、ある程度、現実をシミュレートしているからこそ発生しているものであるため、テーマにのっかれずに冷めた目で見てしまうと単に(無駄な)手続きが多いだけと感じてしまったことがあります。
2点目は、2人ゲームだったせいもあると思いますが、基本的に欲しい建物は建てることができる(相方と被りまくったとしても、単純に考えて5割建てられるので、実際には7,8割は建てれていた)し、建物の配置は基本的にどこでも建てられるし、アイテムは大量に手に入るし、建物は(相手に建てられていたとしても)使えないタイミングなどそうそうないし、食料が足りなくても別に餓死とか緊張感のある要素はないし等々、なーんも� ��えなくても、好きなことができてしまったこと。
3点目は、2人プレイでは建物が残り1つになるまで終わらない=2人とも終わらせる必要を感じなければずっとプレイし続けることができたことです。
実際には勝っている方が逆転される前に終わらせるのでしょうが、細かい得点手段を全て、終盤になれば200点以上の得点を、計算した上で、今勝っている負けているというのは判断できないので、圧倒的に勝っている人がいる時と、ようわからんがもう十分遊んだから終わらせようとでも考えた時くらいしか終わりません(今回のゲームでは得点の低い建物が残ったので、建物を建てる以上に得点を得る手段がふたりにあったことも大きいのでしょうが)。
個人的な思いですが、ゲームのシステムを楽しむだけならルールは単純なもので十分です。テーマ性があり、それをゲームで再現しているからこそ、多少の複雑さもゲームの面白さに結びつくものと考えています。なので、ゲームから冷めてしまった時点でこの煩雑さは必� ��性も感じられず、ついていけませんでした。
一応補足ですが、ルールは単純です。説明書も丁寧ですし処理に迷うことはないので、ルールは複雑なことはないです。単に僕が無駄に煩雑なと感じただけで、AをBに変えて、BをCとあわせてDにして…というのを考えるのは、基本的に面白いですし、相方も難しくなかったし、(僕が楽しめなかったというのに対して)そこまで悪いとは思わなかったと言ってました。
あとは、よくゲームの面白さを表現する時に、ジレンマという言葉が使われます。やりたいことが両立できない、制限の中でどう計画するか、どう他人より一歩先んじるかというのが面白さにつながっているのだと思うのですが、2人ゲームだと、祈り、働けは、超ゆるいです。わかりにくい例えだと思いますが、「桃を何個食べられるか競うゲームをやろう。桃は� �が欲しいと思った時に目の前に現れる。時間制限もないし、君が欲しいと思った時にだけ食べるだけで構わない。ゲーム終了は君が『終わり』と言った時だ。勝ち負け?競争相手?そんなものはないよ」とでも言われたゲームに参加しているような。
一部、ル・アーブルのシステムが使われていますが、あれは、限られたラウンドで、常に足りない食料を気にしつつ、どう効率的に立ち振舞うかという制限のなかで最適解を行うゲームだったから、楽しめたし、好きだったんだなあと。
細かくは書きませんが、どの得点方法を重視してもいい勝負になる、わかりやすいルールでひとの手を気にしつつ遊ぶゲームで、邪魔をされてもリカバリー手段もある等々、文句ばかり書いてはいますが、良いゲームだとは思っています。あくまで僕の感覚として2人ゲームは面白くなかったということなので、今度、3人以上でのゲームをどこかで機会を見つけて遊んでみたいです。
最後に余談ですが、昔、ヨーロッパ旅行に行った時に列車から撮った写真(見えにくいですが、山の上に教 会?があります)です。こんなところにまで教会(修道院?)を建てるのか!と驚いた覚えがあります。このゲームも最初はこういう環境なのかなあと。
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