ネオ:何彼は幸せな小さなモミ
特にNEOくはないが名前はNEOなんだ フリ☆モミ
/
――壱。
――総じて言えば。犬走椛は、そう大層な美少女なんかではなかった。
●
こたつに入ってぬくぬくと記事を書く。
それが冬場の私のスタイルだった。
しかし、ぬくぬくとしていることがすなわちノンビリかと言えば、そうでもない。
「ああ、文様、いらっしゃったんですか」
声。そして足音。振り返れば、裸足が視界に入った。
「……椛」
ぐでり、としながら、視線をわずかに上げる。
そこには、怒ったような、呆れたような、心配したような、そんな椛の表情があった。
心情がすぐに顔に出る。
素直。
扱いやすい。
椛は、そういう子だった。
「……大会前っていつもこうですよね、文様。いつもこたつで寝て、服も脱ぎっぱなしで」
「優勝することに比べたら、散らかる不快さなんて気にしていられないわ」
記者の顔はしない。
そんなもの、椛に見せるだけ無駄だからだ。
椛は軽くため息を吐き、
「……部屋が汚かったら、新鮮っぽい記事なんて書けないと思いますよ?」
「それもそうね。お願い」
言って、私は再び視線を落とす。
机。
そこには、まっさらな原稿用紙がある。
傍らにはスクラップからまとめなおした草稿があり、インクがあり、ペンがあり、そして私の手がある。
動かない。
文字が生まれない。
ため息を吐いた椛が、私の後ろで、脱ぎ捨てた服をたたみ始めた。
「……行き詰ってるんですか?」
「……そうね」
新聞は、人々に新たな話を聞かせるもの。
人々に真実を行きわたらせるもの。
とは言え、どんな新しい話があっても、どんな予想外の真実があっても、――どんな記事があっても、読んでもらわねば意味がない。
そして、その話の途中で、読者が飽きない工夫もいる。
普段からしっかり考えてはいる。
けれど、ここまで深くは考えない。
――新聞大会。
大きく分けて、三つの部門に分かれた大会だ。
一つは、一年を通して最も評価されるべき記事。
これはもう手の付けようがない。
そして私の新聞では、お上、頭の固いご老人方に受け入れられはしないだろう。つまり駄目。
一つは、最も精力的に新聞を書いた記者。
これも、もう手の付けようがない。
新聞の内容も問われるが、これは情報力がモノを言う部門だ。
いいところまでは行く。その確信がある。
私は、烏天狗の中では、一般レベルの情報力と、最高レベルの速度を持つ。しかし、所詮は一人だ。
だから、人海戦術とも言える情報力を持つ一部の天狗には適わない。
これはギリギリ入賞する程度で終わるだろうな、と思う。
速度のアドバンテージだけでは到達しえない地平があると分かっているけれど、悔しいものは悔しい。
そして最後の一つは、今大会期間に流通する新聞の部門だ。
これは上層部の一存ではなく、広く幻想郷全体で行われる投票によって決まる。
今回私が狙っているのはこの賞で、そして、行き詰っている。
……まあ、裏部門で、最も馬鹿だったニュースとか、最もアホだったニュースとか、連載4コマ部門だとかもあるけれど。その辺りは、考えない。
「は、」
ぁ、と、息を深く吐く。
問題はいくつかある。その中でも最も重大なのが、私のヤル気がないことだ。
「ああ、文様。しわになっちゃいますよ、シャツ」
「いいのよ。取材に行くわけでもないんだから」
不安がある。
私は最速だ。
追いつける者などいない。
けれど、気付かれずに近づく者は?
あるいは、河童の技術、映像記録装置を使って盗み見るだとかは?
こうしている今も、誰かに記事を見られて、それ以上の何かを出されるのではないか、と不安がある。
見られていない。
見られているはずがない。
それでも不安なのは、記事に自信がないからだろうか。
「大会が近いって言っても、まだ大きな事件が起こる余地はありますよ。こうして腐っているより、よっぽど建設的です」
記事を書くでもないのに、ふんむ、と、気合を入れる椛。
その仕草に、少しだけ笑んで、椛を観察。
服をたたみ終えたところで、ちょいちょい、とこたつに手招きする。
「椛は、お馬鹿ねぇ……」
む、と、変な顔をされた。
「そりゃあ、文様よりは頭悪いですが」
思った通りの勘違いをしながら、椛は私の対面に入った。
外が寒いせいだろう。
夏には肩口が見える服の下に、もう一枚服があった。
少し、残念だな、と思う。
「……椛。どうして隣に入らないの?」
「……狭いですよ」
椛は、へにゃりと机に突っ伏す。
私と同じように。
「あったかー……」
散らかった机の上。
その全てに干渉しないよう突っ伏すのは、中々器用だと思う。
何故だかそのへにゃり顔が妙に可愛くて、私は首の向きを変えた。
視線の先には、散らかった部屋と、雪をちらつかせる外がある。
「……冬ね……」
「今年は早いですねー……」
深々。
深々と。
雪が降っている。
「……ん」
椛が、声を出した。
ちょっと暑いのだろうか。ぱたぱたと、耳が動く音が聞こえた。
……ああ。
椛の、そう多くない、美少女ポイントの一つ。
耳が可愛い。
そして、あまり手入れもしていないのにさらさらとした髪。
指を通すと、二つの相乗効果で個人的美少女ランクが急上昇。
「……ふぁ……」
今度は欠伸が聞こえた。
美少女ポイントその二。
心情がすぐに顔に出る。
素直。
扱いやすい。
そして、本人は、自分は真面目で、自分は騙されないと信じている点。
彼女は案外隙があって、私の嘘にすぐ騙される。
つまり、かわいい。
「……ん」
足を伸ばした。
少し汗ばんでいる。
それが触れたためか、椛が小さく声を出した。
彼女は口をへの字に曲げ、
「……文様。記事書きましょうよ」
無視して、足をもう少し伸ばして、縮めた。
スカートの中に、足が這入る。
「……文様、私、帰りますね?」
抜けようとする脚を絡めて、逃がさない。
「あ。ちょっと、文さ、うわ」
尻を引いて、引きずり込んでみた。
こたつ、人を食う。
場末の恐怖小説だろうか。
手だけが、ばたばたと暴れている。
「わ、ちょっと、暑いですってば、文様っ」
温まった脚が、私の汗で少しぬめる。
アキレス腱が細くしまった足首を想起しつつ、それに私の左足首を絡め、さらに右足の下じきにしてロック。
右足は、スカートの奥へ向かう。
「あ、やっ、だ、だから、記事書かないとっ、」
「息抜き息抜き。――よっ」
「あっ、??っ、」
下唇を噛んでいるんだろうな、と思いながら、窓の外を眺め続ける。
足の裏。
やはり汗をかいたそこに、柔らかな、しかし熱をもった塊がある。
足指で挟む。
そのまま爪を立てるように上下。熱は明確になり、そして大きくなっていく。
「い、いけませんよ、文様。ここのところ、毎回、――っ」
言葉は途中で切れた。
私の足の裏で、熱が大きく、硬くなっている。
頷く。
「……体は正直ね、椛」
「ち、ちがっ」
「口はいつも超嘘つきね、椛」
「文様は口先超上手いですね、っ!」
「足も上手いと、」
挟んでいた指を外し、反射的に逃れようとしたその腰、その恥部を覆う布に侵入した。
「思うんだけれど?」
「ああもう超上手いですね――! いやぁ――! こたつに食われる――!」
「たーべちゃーうぞー。……楽しい? そんなにテンション上げて」
「寒気がしてもう駄目です!」
「そう、じゃあ暖かくしてあげないとね」
ずっと窓の外を向いていた視線を、椛に向ける。
右足親指と人差し指で何とかソレを挟みこんで、左足のロックを外す。
尻を引きずられるように、椛がこたつから半分脱出した。
もちろん、ロックは継続。左足なんてところより、もっと重大なところのロックを、だ。
「い、いいです。本当に。遠慮します」
「あら? 私がご奉仕するんですよ? いいんですか?」
「不穏なルビが……遊んであげる、とか聞こえたような……」
「おお、メタいメタい。でもそれは書かれていないので気のせいよ」
嗜める言葉とは逆に、足を少し下に下ろした。
皮の拘束をはがされたそれは、ますます怒張する。
は、と、椛の息が荒くなる。
「文――様――」
ぐる、と、音が聞こえた。
喉が鳴る音。
椛がケモノになる合図のような音。
「椛」
ぐるる。
ぐるるる。
「こたつの中だと、暑いわよ?」
言いつつ、破られないうちに、服をはだけた。
椛の美少女ポイント、その三。
椛は誘惑に超弱い。
●
こたつがブチまけられた。
インクが。ペンが。原稿が、草稿が、こたつごと宙を行く。
熱を帯びていた脚が、外気に触れる。
寒い。
故に、とっくに濡れそぼっていたそこで、椛をくわえこんだ。
こたつを蹴りあげたものだから、椛の体勢は悪く、そして初動が遅い。
だから、騎乗位になった。
と言うか、いつも、騎乗位に、する。
深く吐息。
――脳天まで貫かれる感覚。
まるで焼けた鉄串。
電流抵抗によって全身に熱を生ずる。
ぐる。
――脳内に走る怖気にも似た予感。
骨盤をがしりと把握されて、震える私の腰が引き上げられ、
直後、恥骨を砕くような強さで突きこまれた。
まるで絶息。
――脳髄がびりびり震える。
自動的に腰がうねり、
他動的に腰が上下する。
「あ、は、は……!!!」
笑う。
椛も、私も、いつもの顔をふりすてて、ケモノのように腰を振っている。
いや、真実ケモノ。
彼女の本性は白い狼。
だったらケモノ。
そうじゃなきゃおかしい。
そして私もケモノ。
私の本性なんて分かり切っている。
そう、ケモノ。
ああ、だから、
いつもの真面目な顔は、
いつもの不真面目な顔は、
この顔を隠すための仮面だ。
「ぐ、」
我慢なんて知らないケモノが絶頂した。
どぷる、と一射で子宮が重みを増す。
子宮口を精子が通るたびに三度は絶頂。
こってりと、マーキングみたい。
「ひ、」
思わず声が出た。
歓喜、憎悪、恐怖、悦楽、溢れた電流が馬鹿みたいな感情を大漁旗。
「あっ、あ、あぁ――――ッッッ!!!」
がくん、がくんと体が震えた。
そうしているうちに、第二波が来た。
やば、と思考する間もない。
放り投げられる。
意識が真っ白になりながら、腰はさらにうねっている。
絞り取ろうと。
私の子宮を破裂させようと。
椛の精嚢を死滅させようと。
ぎちぎち締める。
ずこずこ出し入れ。
楽しい楽しい、地獄じみた往復運動。
ひ、ひ、とケモノは絶命しかけのロバみたいな声を出している。
どっちかなんて、言うまでもない。
両方だ。
でも動く。
だから動く。
楽しい楽しい、地獄じみた往復運動を連続する。
●
都合十三回絶頂させたのち、私は肉棒を膣から引き抜いた。
腰がぐずぐずだった。
明日のことを考えるならば、そろそろやめておかないと飛び立つことすらできなくなる。
「ぜ、は」
私の方が、吐息はマシだ。
十三回なんて、人間でいえばそろそろ心臓が止まるような回数だ。
彼女が天狗で、しかもケモノと化していたとて、その消耗は考えるまでもない。
「お疲れ様、椛」
くあー、と、声が聞こえた。
見れば、椛はその顔を両手で覆っている。
椛の男らしいポイントその一、手がわりとゴツい。
だから、垢ぬけない、しかし素朴な表情が隠れてしまっていた。
まあ、見なくても分かる。
やっちゃったー、だ。
「文様ぁ……やめてくださいよ、白狼天狗って獣系なんですからぁ」
「十三回も射精したワンちゃんの言うことじゃないわね」
「……わんわん」
ため息を吐きながら、どっこいしょー、と寝転がった。
こたつはひっくり返ったままだ。絨毯も激しく動く間にめくれ上がってしまっている。
板床が背中に冷たくて、椛はもっと冷たかったんだろうなぁ、と、思考が続く。
「あー……椛、次は手加減を覚えなさい。腰が痛いわ」
「……と申されましても……文様が誘惑手加減したらいいんじゃないでしょうか」
「誘惑に手加減も何も」
「それじゃあ、誘惑力ゼロ割で過ごしてみては。超手加減ですよ」
「そうね。超手加減過ぎて、うっかり恥じらいまで手加減しそうよ」
「……せめて外ではやめてください」
くぁ、と椛が欠伸をした。
「どうします? 布団敷きましょうか?」
「椛は?」
「帰ります。水浴びもしたいですし」
「言わなかったっけ? リフォームの時に河童に頼んで、シャワー付けてもらったのよ」
「…………ああ、忘れてました」
嘘を吐くとは感心しない。
ともあれ。
この気だるさは心地よいけれど、そろそろ熱も失われるし、べたべたとしたまま寝るのも御免だった。
シャワーと一緒に付けてもらった炉は、二十四時間三百六十五日沸かしても絶対壊れないとは河童の言だ。
なんでも暗黒鉄とか言う金属でできているらしい。
この金属に対抗するには隙間妖怪がどこかの隙間に放り込むくらいしかないと豪語していた。
「それじゃあ、椛から入っていいわよ。……大丈夫、もう立つのも辛いから入りこんだりしないわ」
ふ、と息を吐いて、瞼を閉じる。
腰のあたりからじんわりと疲れが全身にたゆたっていく。
椛の足音が浴場へ向かう。
それを聞きながら思うのは、こたつの下はインクで酷いことになっているんだろうな、なんて、呑気なことだった。
/
――弐。
――総じて言えば。射命丸文は、とても大層な美少女だった。
●
皮肉交じりに、しかし明確に、そう思う。
冬。
冬だ。
冬なのに、彼女はミニスカートをはいている。
人間より頑丈とは言っても、寒いものは寒いはずだ。
流石にストッキングははいているけれど、こっそり股引なんてはいている私には真似できない。
「いや、外回りの仕事だし、寒いし……」
うん、だから仕方ない。よし。
「うん? 何か言いましたか、椛?」
「あ、いえ、独り言で」
振り返った顔には、どこか飄々とした笑みが浮かんでいる。
天狗には多い笑み方だけれど、文様のそれは少し違う。
どこが違うか、は、私の貧弱な語彙では言い表せない。
けれど、まさしく、風のような、と表現するのがいいと思う。
黒のストッキングに包まれた脚は細い。
マフラーに巻かれる首は細い。
指先の出た手袋をはく手指は細い。
寒さを感じさせない活発な動きは、やっぱり気合の入った美少女なんだよなぁ、と思う。
「ま、ならいいでしょう」
そう言う文様は記者の顔だった。
昨日のぐーたらとした顔ではない。
……こたつに入って、髪を適当にまとめて、化粧もゼロ。
そんな彼女を見たら、卒倒する人もいるのではないだろうか。
「じゃあ、行きますよ椛、……と」
文様は周囲を見回し、カメラで数枚写真を撮った。
冬景色、と言うならば、中々のものではないだろうか。
幻想郷の冬、だなんて無難なタイトルにしか使えそうにない写真でも、文様ならば独創的に使えるだろう。
多分。
撮り終わった文様は、何かを確認するように何度か頷いて、緩く飛び始めた。
「文様、どこへ?」
「強いて言うなら、……取材対象のいるところ、ですね」
つまり目的地はない、と。
そう思った瞬間、ふと文様が振り向いた。
一瞬、珍しく言葉に詰まってから、文様は言った。
「ところで椛、欠勤多いですが、大丈夫ですか?」
「え!? あ、文様が私の心配を!?」
「……どういう意味ですかそれは」
言葉どおりの意味です。
とは流石に言えないので、無難に、素直に返す。
「普段真面目ですので、休暇日数溜まってるんです。まだ二週間くらい休めますよ」
休暇申請もしておきましたし。
言葉を続けると、文様は意地悪く笑った。
まあ、文様に付き合う――付き合わされるようになってから日数ガリゴリ削れているのは、あまり考えないことにする。
「誘惑に超弱いの自覚してたんですねぇ、椛」
「文様が誘惑好きなの理解してたんですよ」
「なるほど」
言葉と同時、文様は前を向いた。
方角的には、
「紅魔館ですか?」
「ちょっと違います。いるかどうかは分かりませんが、……まあ、多分いるでしょう。記者の勘ですが」
●
わ、と。
うわ、と。
うわあ、と。
そこに近づくたびに、私は声を出した。
湖が、凄い。
ええと、……凄い。
「……きっとあのロボットが凍ったんでしょうね、アレ」
「多分そうでしょうね。河童の連中も気のいいやつらですし、子供におねだりされては断れないでしょう」
怪獣大決戦だった。
どかんどかんと、湖の氷が割れる。
がりりがりりと、湖の氷が削れる。
具体的には、鬼、伊吹萃香と、氷漬けの『ろぼっと』が戦っていた。
「冬なのに元気ですね……」
「冬だからじゃないでしょうか。それに、ほら」
指差された方向、氷漬けの『ろぼっと』の肩には、氷精がいる。
そして、彼女を抱き寄せるように、雪女が指示を与えていた。
「ああ、なるほど、二人だから……。湖をリングにして相撲モドキ、でしょうか」
「そうでしょうね。どちらも鬼と比べれば力が弱いというのに、やるものです」
ぱしゃり。
ぱしゃりと、シャッター音が連続する。
勝負は白熱している。
現在は冬。
氷精×雪女のタッグは最大限の力を発揮し、
鬼は寒気を跳ねのける熱気を纏っている。
何枚か写真を撮った末に、文様は振りかえり、……一瞬口ごもって、笑顔を見せてきた。
「……うん。あの三人への取材は後にしましょうか。流石にアレに巻き込まれて無事に出てくる自信はありませんし」
まずは、と、文様は言う。
その目線は、紅魔館、そのバルコニー、やんやと囃し立てる妖精メイドと、愉しげにそれを見る主へと向いていた。
●
――面白いものが見られたわ。今度は夜にやってくれると殴りこめて嬉しい。レミリアインパクトとかブチこんでみたい。
「そうしてくれると私の方も助かるのですが、フラッシュ強力にしとかないといけませんね」
――出来れば昼にやってくれるとお召物がめちゃくちゃにならなくて嬉しい。
10ピンのボーリングのスコアを維持する方法を学ぶ「苦労がにじみ出ていますね」
――とてもいい試合でした。決め手はゴッドハンドスマッシュでしたね。
「アレは普通にシャイニングフィンガーだと思うのですが」
――司書が出払って迷惑だった。今度黒の万力にかける。
「その司書さんはとても楽しんでいた様子です」
――寝ていて無回答。
「かと思ったら叫んで起きてギャー言ってくれましたね。耳掃除にナイフはちょっと太そうです」
――所詮は血の通わない無機物。酒の肴にはむいてなかった。
「食ってましたね」
――あたいもでかけりゃ負けるもんかと思ってたのに。
「そもそも相性悪めでしたね。努力は認めるべきでし� ��うか」
――気絶して無回答。
「美しい、……姉妹愛? 汝隣人を愛しましょう」
――もうチルノちゃんは冬場縛っておくことに決めた。レティさんも蹴り帰す。
「セメントですね。……これは、今年の冬は短そうですねぇ……」
うん、と文様は頷いて、きれいな笑みを見せた。
「いやぁ、動いて正解でした」
「やっぱり、家の中でぐーたらしてるよりこっちの方がいいですよ、文様」
「そうですね。この時期、ほとんどの天狗は家の中で記事の追い込みしてますからね」
外に出た時から元気であったけれど、どこか空元気の部分もあった。
しかし今の文様は、真に普段の文様だ。
昨日――最近のような、ただれた、全てに手を抜いた文様ではない。
そう、思う。
「やっぱり、文様はこうでないと」
「……どういう意味ですか、椛」
「元気が一番ってことです」
「そうですね。天狗は風の子。――後で話があるわ、椛。宿舎裏に来なさい」
いきなりセメントですか、と言って、私は息をひとつ吐く。
……そう言えば、宿舎にいたのなんて、もう何年前の話か。
天狗の中では若い方だが、それでも、思い出せない程度には昔のことだった。
変化のない天狗内部。
そんな中、部外者の無断立ち入り禁止の宿舎に、無許可で来ていたのはいい刺激ではあった。
が、いい思い出と言うべきかは、迷う。
「ハイハイ。……それじゃ、帰りますか。食材ありましたよね?」
「ん、……まあ、二人分くらいはあるはずね」
言って、文様はゆっくりと飛び始めた。
書きものをしながら、そして、背後、私の方まできょろきょろと周囲を見回しながらの飛行だ。
危ないなぁ、と思いながら、私はそれにくっついていく。
/
――参。
――総じて言えば。私は、ひどい嘘つきだった。
●
こたつの中、原稿を書き連ねていく。
記者は、ありのままのことを書けばいいわけじゃない。
ありのままの出来事は、ただの事実だ。
書くのは、伝えるべきこと――私なりの真実だ。
それがジャーナリズムってものだと、私は信じている。
新聞のスペースと言うのは意外と小さい。
ただ真実を羅列すると、あっという間に埋まってしまう。
ひとまずはだらだらと書きあげて、その上で削って洗練するのが私のスタイルだった。
「んー……」
原稿用紙とメモ。目線の配分は半々で、書かれていく文字は汚い。
所詮原稿なので字のきれいさは関係ない。そんなわけで、裏うつりを無視して裏にも書き連ねて行く。
後で読んでまとめることができればいいんです。
誰にでもなく言い訳をしつつ、手と目を進めていく。
「……んー……」
いいペース、と思う。
真実の取捨選択が冴えている。
これならいい記事を書けるのではないだろうか、――いや、書ける。書こう。
素直にそう思う。
渇きとか、空腹とか、尿意とか、時間とか、ありとあらゆるものが淘汰されている。
ただ書いていく。
「ん。よし」
『。』
エンドマークを置いて、私は集中を切った。
腰がごりごりとなる。
最近ぐうたらしすぎだっただろうか。
ふと、振り返る。
散らかった部屋だ。
うずたかく山となった紙くずと、得体のしれない汚れと、インクと、折れたペンと、砕けた食器と、引き裂かれた布くずがある。
清書する前に片づけておこうかな、と思う。
けどまあ、
「……その前に」
まずは、集中して忘れていた空腹を、満たしておこう。
いきなり誰かが訪ねてこないとも限らない。その前で腹を鳴らしてしまうのは、少女としてどうかと思う。
●
「……ふう」
色々とさっぱり。
すっぱい口の中をうがいできれいにして、私は掃除を終える。
その内気合を入れて掃除をしないと駄目そうな汚れもあったけれど、ひとまずは普段の部屋に戻った。
そう、これで普段の私にしか見えないだろう。
「流石私……」
そう、ちょっと真面目になれば、家ではぐーたらしてるんですから、と椛に言われることなんてないのだ。
外を見れば、陽が稜線を越えていくところだった。
ちょっと真面目になりすぎた気がしないでもない。
確か、原稿を書き終えた時は昼さがりと言った時間帯だった気がする。
最近、時間感覚がおかしい。
「……うーん……光熱費が……」
脳内で、暖房と灯りにかかる費用を試算する。
ひとまずの原稿は完成した。
あとはきちんとした文章に清書し、幾度か推敲をして原版を作るだけだから、そこまでの時間はかからないだろうと思う。
まあ、何事にも余裕があった方がいい。特にこの手の事柄は。
一食削るくらいで余裕ができるなら、その方がいいだろう。
「よしっ」
一息。
気合を入れて、私はこたつへと歩いていく。
その途中、空気の入れ替えに開いていた窓を閉め、座布団に座って姿勢を正す。
灯りをつけ、足をこたつの中へと入れて、紙を新たにして、書き上げた原稿を手に取り、――破り捨てた。
「…………こんなの」
破り捨てた草稿を、改めて見返す。
文字が踊っている。
文字が、踊ってはいる。
書かれているのは、真実どころか事実でもない。
ただ、起こったことを羅列して、幼稚な感想を並べ立てただけのものだ。
こんなものは記事にできないと、最初から分かっていた。
自分に対しての嘘は、瞬時に破綻した。
思い出した。
忘れていた。
こんなものを書く現実に耐えきれなくて夢想していた。
進んでいる。
書けている。
だから平気。
大丈夫。
椛の視線にだって耐えられる。
幻想郷最速の名に恥じない記事を書けている。
「う、う、う、」
破る。破る。破って、破った。
五度。無作為に破れば、それは既に紙くずだ。
机の横に、新たな山の根ができた。
掃除して、見えないところへ追いやった筈の現実が戻ってくる。
書けていない。
何も書けていない。
現実逃避もこれまでだ。
私についた嘘が私によって暴かれる。
真実の取捨選択が冴えている?
これならいい記事を書けるのではないだろうか?
ああ、渇きとか、空腹とか、尿意とか、時間とか、ありとあらゆるものが淘汰されていた。
ただ書いていた。書いているふりをしていた。
こわいと。
逃げたいと。
どうしようもないと。
でも逃げられない。
椛がいる。
椛に見られている。
椛に追われている。
「あ、う、う」
振り返れば、いつでも椛がいた。
実際はそんなことはないけれど、そんな気がした。
もう一度唸る。
うう。ううう。
椛のように。
そうすれば、けだものみたいに、泣き喚けるかと思った。
無理だった。
出来なかった。
私は、とても嘘つきだった。
プライドとか、見栄とか、自分を守ることとか――そんなことを覚えた、嘘つきだった。
誰も見ていない。そう、誰かが見ているわけなんてない。
なのに、涙を我慢している。
嘘つき。
嘘つきだ。
泣きたいのに、泣いちゃ駄目だと自分を誤魔化している。
涙はこぼれない。
ぐ、と瞼に力を込めて、涙を流そうとしても、流れない。
どうしようもないくらい、ひと肌が恋しい。
……ああ。いつから私は、こんなに弱くなったんだっけ。
答えは出ない。
だったら多分、私は強いのだと、嘘をついていたのだろう。
「嘘つきは……いやだ……いやだよぅ……」
――と。
「――――」
ふと、無音が聞こえた。
息をのむ音が。
呼吸をせず、ただ、立つ音が。
「な、んで――」
「……いや、その。ええと……最近、変でしたから。そろそろ、変さが最高潮になるころかなぁって」
「なに、よ、」
「付き合い、結構長いですから」
「つ、ごう、」
「都合がいいって言われましても。それを言ったら、文様、私の当番のときにばっかり来るじゃないですか」
「ん、」
それもそうね、と頷いて、私は無言であった気配へと振り返る。
椛。
唇を引き絞った狼が、そこにいた。
/
――四。
――総じて言えば。私は、とても愚かだった。
●
「それも、そうね」
誰が象とロジックワードパズルを所有している 言って、文様は私を見た。
潤んだ瞳だ。
こたつの中。
足を出さぬまま、彼女は私を手招きする。
指先の動きまで計算されている。
きれいに手入れされていた爪が、ぼさぼさの髪が、ボタンもまともにとめていない服が、ぼろぼろの肌が、こけた頬が、落ちくぼんだ目が、私をつき動かす。
艶めかしく動く指先を掴んで引っ張り、持ちあがった腋を抱えて、私は文様を抱きかかえる。
「え? あれ?」
「文様。まずはキレイキレイしましょう。あとご飯です。掃除もしないと」
「お、お風呂は後で入るつもりで、」
「じゃあシャワーでも。そのあと洗濯ですね。入ってる間に、ご飯作っておきますから」
「ご飯はさっき、」
「胃には何も入ってないでしょう」
「そ、そんな、」
「気付かないと思ってるんですか。すっぱいにおいしますよ。吐いてるんでしょう?」
言いつつ、風呂場、脱衣所の扉を開ける。
洗濯かごにはごちゃごちゃと服が詰め込まれていた。
隅には埃がたまっているのも見て取れる。
「お、怒って……る?」
「わざわざ聞くことですか」
手の力を抜けば、文様はへたり込んでしまう。
ため息を吐きつつ風呂場に顔を出せば、……どうやら、しばらく湯を張ってもいないらしい。
お湯の勢いを全開→限界→対艦並みに。脱衣所に戻って、文様と視線の高さを合わせた。
「脱がしますよ」
一言。
くしゃくしゃのワイシャツのボタンを丁寧に外していく。
その下の肌着とブラを手早く脱がせて、下に行く。
されるがままだった。
「ああ、ほら。腋のところ、ちょっとシミになっちゃってますよ。頑丈だからって着替えしないでいちゃ駄目です」
「ん、」
「あー、足にも汗かいちゃって……」
言いつつ、靴下を脱がせる。
足指から、においが立ち上った。
沸騰しかける欲望を噛み殺す。
「はい、立ってください。それとも自分で脱ぎますか?」
「自分で、やるわ」
「分かりました。それじゃあ私はご飯を作るので、ゆっくりつかってください」
ん、と、文様は頷いた。
私も頷き返して立ちあがり、台所へと歩いていく。
――ふと、振り返る。
彼女もまた、素肌をさらし、手ぬぐいを持って、振り返っていた。
「……あ、」
文様は、足もとへと視線を巡らせ、
「……食べない、……の?」
「文様。野生動物にもね、願望ってあるんですよ」
なに、と言いたげな視線を受け、言葉を返す。
「……まあ、つまり。今の文様を食べたら、病気になっちゃいそうってことです」
「……なに、それ。食べるものを、選ぶってこと?」
「最初は、誘惑されるつもりで来たんです。でも、今の文様、本当に、……その、よわっちいだけの、獲物未満です」
――文様の眉が跳ねあがる。
そんな、ばかなと。
矜持を傷つけられ、かさかさに乾いた唇を噛み切って、文様は私を睨む。
「そんな顔しても、欲情なんてしませんよ。襲われたいなら、もうちょっときれいにしましょう」
「っ…………!」
ばたん、と、勢いよく風呂場の扉が閉まった。
……あんなひどい表情をしておいて、彼女は泣いていなかった。
でも今、彼女は、泣いていたのかもしれない。
「でも……このくらい言わないと、文様、駄目だったろうし……」
独り言で、罪悪感を打ち消す。
首と上体を前に向ける途中で、服の裏地に亀頭が擦れた。
「……いや。本当、長く入ってくれると、助かるんですけど……」
おさまれおさまれ、と、念仏のように唱えながら、私は今度こそ台所へ向かう。
●
氷室の中には、食べられそうなものはほとんど入っていなかった。
人間より丈夫な胃腸――とは言え、出来れば美味しいものを食べたいのが情だ。
今の文様に、香辛料を効かせたものは食べさせたくない。
結果、胃腸に優しく、手も離せる煮込みもの――手間を考えて、おかゆを作ることにする。
氷室の中で冷凍されていたご飯を煮込んで解凍しながら、洗い物を片付けてしまうことにする。
排水溝も、ひどいざまだった。
できれば食事の前に掃除をしておきたかったけれど、まずは食事だ。
冬場。
河童によって機械化された文様の家でも、水の出始めは冷たい。
「うーっ……」
手から逃げる熱で、尻尾の先まで粟立つ。
洗剤を盥に張った湯に溶かしつつ思うのは、
「……言いすぎたかなぁ……」
選択肢――次の中から回答を一つ選びなさい。
一、謝る→本気でもない言葉で私を詰ったのですか→八つ裂き
二、開き直る→本気で言ったわけですね分かります→八つ裂き
三、逃げる→悪い事をしたと自覚はあるようですね→八つ裂き
四、迎え撃つ→椛が私に敵うと思っているのですか→八つ裂き
五、引き延ばす→今すぐに閻魔様の元へ逝きなさい→八つ裂き
頭を抱えた。泡が頭に付いた。
「……死ぬよなぁ。うん」
どう考えても、後で八つ裂きにされるようなことを言った。
けれど、彼女を襲う気にはならなかった。
死ぬよなぁ、と、後悔はある。死にたくないなぁ、と未練もある。
けれど、間違ったことは、言わなかった。
私に振りかかるであろう結末に、後悔はある。
けれど、彼女に来る結果を回避できたことに後悔はない。
「……まあ。どう考えても、愚か者だよなぁ……」
独り言を呟きながら、洗い物を終えた。
手を洗い、おかゆに塩を振る。
食んでみれば、中々のいい味だった。
――と。
「――――」
ふと、無音が聞こえた。
息をのむ音が。
呼吸をせず、ただ、立つ音が。
振り返らず、言葉を放つ。
「あがりましたか、文様」
「ん、」
「おかゆ、ちょうどいい具合ですよ。こたつの上、片づけておいてください」
ぺたぺたと、足音がした。
靴下を履かないと足もとから冷えてしまうのではないだろうかと思う。
「……文様。」
文様。
二度呼んでも、返事はない。
「できれば、食事の世話と、お掃除くらいさせてください。……それと、一度で仕留めてくださいね。痛いのは、あまり好きじゃありませんから」
結局選んだ選択肢は、六、覚悟を決める。
それでも往生際悪く、世話をしていこうとするのだから、私の愚かさも筋金入りだ。
……ああ。
こんなところで気付く。
たとえこのひとに殺されようてもいいや、と。そう思うってことは、つまり――――
「 、 、 」
吐息が聞こえた。
三文字。
声帯を振るわせぬ声が、囁きよりもなお小さな声が、聞こえた。
「…………」
……ごく冷静に、おかゆを煮る火を止め、向き直る。
文様。
私自身よりも大切なひとが、そこにいた。
/
――五。
――総じて言えば。私たちは、とても――
●
襲いかかられた。
そう理解するまで半秒かかった。
「やっ、」
傷つけられた矜持を、どう回復してやろうかなんて考えて、烏の行水をして、そして出た先。
おかゆを作るその背中が、とても強いものに見えた。
記事になんてなりはしない、つまらない風景だ。
ただ、なんとなく惹かれてしまった。
だから歩み寄って、その名を呼んだ。
歩くのも、声を出すのもおっくうで、力ないものだった。
「あっ、」
確認として、そこまでを思い出す。
それから椛は火を止め、振り返って、一気に襲いかかってきた。
ぐる。ぐるる。
誘惑なんてしていない。つもりだ。
まさか私の誘惑力がここに至ってレベルアップしたわけはない。
風呂場で久々に見た鏡は、私のひどい顔を映していた。
だから違う。
そして違う。
「椛が、きれいにして、ご飯を食べて、って言ったんでしょう――」
しわくちゃのワイシャツを引きちぎって胸を吸う椛の側頭部に、狙いを付ける。
ぐ、と拳を握りこんで、
「正気に――戻りなさいっ!」
ごすっ、と、力一杯に殴った。
「きゃいんっ!」
犬のような悲鳴を上げて、台所、足もとの扉をブチ抜いて、椛は外まで転がっていく。
……情けない。しばらくの不摂生で、ここまで力が落ちたか。
全力を出し過ぎて、もうしばらくは飛ぶことすらままならないかもしれない。
「八つ裂きは無理かもしれないわね……」
音速で低空飛行して椛おろしにするのが一番だろうか。名前的にも。
ふむ、と考え込み、シャツを新たなものに変える間に、椛が戻ってきた。
あいたたた、と言うくらいならば、正気に戻ってはいるのだろう。
立ちあがり、こたつに歩み寄って、上板を傾けて諸々をどざーっと下に落とす。
インクのふたは締めてあるし、今更書きなおすことを厭ったりはしない。大丈夫だろうと思いながら振り返れば、椛はおかゆを持ってくるところだった。
台所の扉を閉めて寒気を妨げ、一言、彼女は口を開く。
「……申し訳ありません、文様。うっかり理性が飛びました」
「正気に戻ったならいいわ」
「申し訳ありません……」
縮こまる椛を手招きする。
外に出るなら爪とか肌とか手入れしないと、と思いつつも、こたつに入った。
「私が言えたことじゃありませんが、……文様が流されなくて、良かった。私、最期に犬っころにならないで済みました」
「誘惑したつもりもないのに、襲いかかられてはたまりませんので」
皮肉を口端に乗せて言う。
……本音を言えば。
押し倒されて最初に思ったのが、お腹すいてる、なんてくだらないことだったからだ。
「それに、……最期? なにそれ」
「……いや。ほら。さっき酷いことを言ったでしょう。私」
「そんなの。私の状態の方が、もっと酷かったでしょう」
今もまだ酷いだろうな、と思う。
肌髪ともに多少は快復したし湯上り補正もあるが、それでも普段からは程遠い。
部屋だってそうだ。
掃除したなどとは口が裂けても言えない。
先程のこたつと同じように、ただ押しのけただけだ。
不安定だった、と、椛が来るまでの自分を分析する。
「だから、なし。全部なし」
「ほ、本当ですか」
「本当よ」
「……わぁい! 八つ裂きとか椛おろしとか牛裂きとか鳥葬とか磔とか断崖から逆さ吊るしとか本当にないんですね!」
椛の中の私はどんなイメージなのだろうかと五秒ほど悩んだ。
その五秒で気付く。いくらなんでも子供っぽ過ぎる喜び方だ、と。
もしかして、と、うつむいた。
「ずっと、……」
「はい? どうかしましたか、文様?」
「……なんでもない」
気遣われていたなんて、そんなこと。
女としてのプライドを傷つけられた時より、ずっと、脳が燃え上がった。
「っ、」
気付いた時には、涙が出ていた。
「うっ、うう、ううう、」
「あ、文様? 文様っ?」
うるさい、と思う。
言葉が出ない。
喉の奥で詰まっている。
言いたいことが多すぎた。
「……ええと。文、様? って、痛。あいた、やめてくださいってば」
こたつに突っ伏しながら、中で足蹴した。
この痛みを、少しでも椛に伝えたかった。
「こ、の、ばかおおかみ、ばかおおかみ、ばかおおかみっ、」
「わぁっ、折れるっ、折れちゃうっ、ポキっちゃうっ」
この期に及んでそんな仮面をかぶるのか。
……いや、あるいは素。
彼女は意識せず、私を気遣ってくれているのか。
「本当に、」
――総じて言えば。犬走椛は、そう大層な美少女なんかではなかった。
けれど、とてもやさしい子だった。
「本当に……!」
蹴りながら、椛が作ってくれたおかゆを口に含む。
あたたかい。
こんなありふれたような味で涙がぽろぽろと出るくらい、私は疲れていた。
勢いよく、スプーンですくって、口に運んで、舌に乗せ、唇でスプーンをぬぐうように食み、よく噛んで、飲み込む。
美味しかった。
こんなしあわせな味で涙が出ないのは、うそだと思った。
食べ終わる頃には、おかゆの味が崩れてしまっていた。
そのくらい泣いていた。
何年も、何十年も、他人の前で見せたことがない涙だった。
「文様、」
こたつの上で、手を握られた。
涙をぬぐう手を。
顔を上げれば、笑みがあった。
「……大丈夫ですよ。色々と」
そんな、よく考えもしていないような、ただの誤魔化しのような、ばかみたいな物言いで、私は落ちた。
「もみじ、」
手を引っ張って、頬に当てる。
あたたかい料理を作る手は、やっぱりあたたかかった。
熱を貰おうと、無意識に掌を髪間まで差し込んでいた。
少し、荒れている。
今度、色々と教えてあげようと思う。
やっぱり、女の子は、きちんと手肌の手入れをすべきだと思う。たとえ剣と楯を握って、タコができていたとしても。
ああ、でも、こんな椛の手が、私は好きなのだった。
「もみじ、」
熱が欲しかった。口の中も。
故に指先を口に含み、軽く吸う。
「もひい」
唇を割るように、親指が入ってきた。
舌を捕まえられた。
暴れさせながら、手をかき抱くようにする。
吐息が漏れた。
「文様」
こたつを越えて、椛が顔を近づけてくる。
肩を寄せられ、体重がかかる。
口には指がある。そのまましてくるのだろうか、と一瞬不安に思ったが、違った。
彼女は、肩口を噛んできた。
「あ」
肌に歯が、牙が食い込む。
ぷつり、と、肌が牙に負けた音がした。
痛い、と素直に思う。
「もひい」
涙の勢いが増した。
食べられる。
食べられてしまう。
捕まえられるだけではなく、とうとう、食べられてしまう。
「……美味しいです、文様」
「ああ、あ、り、がとう。ありがとう」
……いつも、振り返れば椛がいた。
いつ私を捕えに来るのかと。
いつ私を食べに来るのかと。
ずっと、想像していた。
名を呼ぶ。
椛と。
捕まえて、今度こそ、食べてほしい。
そう思いながら。
「わらひ、もひいに、はべて、ほひくて……ずっと……」
願いを口にした。
私に痛みをください。
私にあたたかさをください。
……体重のかかった背が折れる。
床へ。
絨毯へと、もつれて倒れ込んだ。
舌をホールドしていた指が外れて、椛自体も、私をかばって離れていく。
「やぁ、」
捕まえていてほしい。
ずっと。
ずっとだ。
だから私はすがる手を伸ばす。
庇ったりなんてしなくていい。
私はあなたのものになりたいと願っているのだから。
「……私、は」
起き上る椛が、呟いた。
「……捕まえても、食べていいのか、分からなくて。あなたを私だけのものにしていいのか、分からなくて」
椛は私に背を向けている。
振り向かない。
「あなたが何を望んでいるのかなんて、私には分かりませんし、何を思っているかなんて、言わずもがなです」
苦笑が聞こえた。
伸ばした手が、振りかえらぬままに捕まえられた。
握りしめと同時に、椛が振り返った。
表情がある。
「言い訳ばかりですね。……結局、私も怖かっただけなんでしょう」
痛いくらいに握られる手から、予感が来る。捕食の予感が。
「――いただきます」
瞬間、手を引かれた。
恐らくは捕縛術の応用。
背を抱かれ、先程噛まれた場所を再度牙が襲う。
血を飲まれた。
痛みに慣れ、しかし敏感なままのそこは、くすぐったさを伝えてくる。
「ぅ、」
ん、と声を我慢した。
食べられていく。
それだけで、背筋が震えた。
「……脱がしますよ」
我慢で強張った身から、シャツが抜かれていく。
あ、と声を出す間に、上半身を裸にされた。
やぁ、と反射的に声が出る。
椛は宣言だけをして、首元を食み、私を鳴かせに来る。
抱きしめられ、食べられていく。
●
――余韻に浸る中。
「……いいんですか? 書かなくて」
背中から聞こえる声。
私を抱く声が、問うてきた。
「……いいのよ。とりあえず、今年はね」
……振り返れば、椛がいる。
今は、それでいいと思うのだ。
●
いつかきっと、また振り返る。
振り返ったとき。願わくば、この日々が、輝かしいままでいてくれますよう。
/
――蛇足。
それから数日して、私は任に戻った。
結局優勝は別の天狗で、賽銭箱を自分で盗んで自分で取材しようとしたけれど失敗しました全治半年です、という自虐記事だった。
記事の捏造と窃盗はいけないが、その勇気は素晴らしいと評価されてのことらしい。
それでいいのか上層部。記事の捏造が先に来ているあたり、本当に。
「……まあ、私の突っ込むところじゃないなぁ……」
日々は平穏。
たまに迷い込む人間に警告を与えたり、山の自然をふと楽しんでみたり。
そんな仕事が、私には合っている。
久しぶり――そう感じてしまうくらい遠い彼方だった警邏は、少し飛ぶだけで、おかえり、と言ってくれているように感じられた。
「ん」
と、同僚が見えた。
夜番だったのか、少し目が赤い。
近づいてきた彼女は、あら、と驚きをあらわにした。
「椛、どうしたのその目。殴られたみたいよ?」
あはは、と笑って私は誤魔化す。
……色々ヤっちゃったせいで、恋人に殴られたなんて、言えない。
可愛かったけれど。
/
――文様の記事がなんだかんだで入賞したので、何かを贈ろうと必死に働いてみた。
でも、私にもの選びの勘があるとは思えなかった。
だから、直接聞いてみた。
「休暇もありますし、お金もあります。文様、何か欲しいものはありますか?」
「え? うーん……」
文様は珍しく悩んだあと、
「それじゃあ、…………ふ、二人で写真を撮りませんか? も、椛の写真が、欲しいのです」
――そんなわけで、私は彼女に自分を贈ることにした。
END.
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